記憶と時間とふたたびくらげ

 しかし、写真の解読のコードを一応身につけているわれわれでも、例えば星座図を見る場合は、隣接する二つの星が実は地球からの距離が気の遠くなるほどたがいに異なるといったことは、ふつう考えてもみない。宇宙空間を駆けめぐっている異星人がいたら、これはきわめて「原始的」な思考と判断するであろう。
(池上嘉彦『記号論への招待』1984,岩波新書 p.138)

 高校を卒業して、まだ3年くらいしか経っていない気がする。記憶が経験から遊離してしまった感じ。経験は時間の直線または平面上にマッピングできる。はずなのだけれど、それがどんどんできなくなっていった。できごとや景色や感情は憶えている、というより「あった」となんとなく確信できるのに、それぞれが独立していて相互の位置関係がわからない。距離感もまるでちぐはぐなのだ。

 春、東京へ行く夜行バスに乗ろうと京都駅を通ったときに見た、くらげの水槽を思い出す。
 京都水族館がオープンしたばかりだったので、そのPRにしつらえられた小さな水槽だ。イベント用の仮設の壁面にはめこまれた小さな水たまり。ガラスの向こうがどうなっていたかは、どうだっけ、向こうに何かが見通せたという記憶はない。水色の壁だったろうか。とにかく、奥行きもせいぜい50センチかよくて1メートルか、そんなところだった。上へ下へとみんな、20匹くらい、よく泳いでいた。こんなうすくて小さな海を。すぼんではふくらみ、ふくらんではすぼみして、ゆらゆらと漂っていた。くらげってどこからが内側で外側なのかよくわからない。どこにも水は満ちているのだ。変なの。

 変なんだけど、このひとつひとつのくらげが、つまりそのときどきの記憶なんだと思う。せまくてひとつしかなくて、期間限定でこの世にあるだけの僕の体。うすい体の中をさも自由に、秩序なく泳ぎまわっている。記憶はくらげ。番号や名前をつけて識別し、あまつさえきれいに配列しようだなんて、そっちのほうがおこがましいのかもしれない。

 と、時間のことについて書いていたつもりが、記憶のことばかりを書いてしまった。

 くらげが記憶だとしたら、僕の中の時間のスケールは、まさにあの宣伝用の仮初めの水槽くらいのものだった。区切られていて、向こう側への見通しが利かない、くるしげなスペース。すこしずつ境界がとけていって、奥行きや高さ、深さがどんどん広がっていった、それが今年に入ってからのことだった。1年前と2年前の差が、距離感の違いが、こんなに明らかだなんて忘れていた。これでは、あの京都駅の吹き抜けいっぱいくらいあるじゃないか。記憶のくらげは相変わらず縦横無尽に泳いでいるけれど、中のひとつに注目しようとすれば、その遠さがちゃんと見て取れる。こんなに楽に息ができる水中を、僕は生きていたのだったっけ。

 それからもうひとつ、時間の水槽には外側があり、外側には空があるということも思い出した。

 未来のことは不安で見たくなくて、それこそが空だなんて考えもしなかった。自分がこれから至るべき時間を、ちゃんと見ていられる。空はどこまでも遠いけれど、遠さの程度をなんとなくはかれる。なんとなくでいいのだ。そのうち空の一部も僕の時間の一部と交わるだろう。そうしてそこに相変わらず、また新しいくらげを置いていく。いつか振り返ってちゃんと手を振れるように。

とここまでを、昨夜布団に入ってからもまだもう少し眠りたくなくて、ノートに書きつけたのだった。
細かいところは直したけど、ほぼそのまま載せました。せっかくなので。

初出:個人ブログ(2012年11月2日)