さよなら夏の光

 これはわたしの、夏の光の記録である。

 あやさんは呼吸するように本を読む人だった。背筋をまっすぐに伸ばして、口の高さまで本を掲げ、ぴたっと静止させて、読む。その姿を図書室のカウンター越しにはじめて見たときから、おもえばわたしはすでに魅入られていた。たいていは文庫本だが、ハードカバーや全集なんかも、おなじ美しい姿勢を崩さずに読む。まさに、堂に入っている、だ。あやさんは本名を儀武あやみという。わたしより一つ上の学年で、新聞部で、図書委員だった。あやさんは長い髪をいつも後ろで一つにまとめていた。

 わたしは娯楽としてちゃらんぽらんに読むたちなので、図書委員ではなかったが、入学直後から図書室に入り浸っていた。一年生の梅雨ごろには、特に用事もなく司書室を訪ねるようになり、七月の試験が終わるころには頻繁にそこで昼食を摂るようになった。あやさんは昼休みには、図書当番の曜日だけ、そこにいた。

 司書室には古い黒革張りのソファと、くたびれた木の低いテーブルが置いてある。図々しいわたしは、勝手にお湯を沸かして紅茶を淹れるのが常だった。わたしは夏でもうんと熱い紅茶がないと死ぬ、さらに言えば砂糖入りは認めない、という主義だった。主義そのものは良いとして、それを公言してはばからなかったあたり、なんとも鼻持ちならない。あやさんは紙パックのオレンジジュースを愛飲していた。というより、それしか飲まなかった。熱いのもだめ、甘くないのもだめ。本人の口からそれを聞いて、わたしは打ちのめされた。ギャップが魅力的というのはもちろん、オレンジジュースを飲む姿がまた堂に入っているのだ。紙パック飲料をこれほどぴしっとかっこよく飲めるひとをわたしは、今でも、ほかに一人として知らない。

 

 決定的だったのは、夏休みの補習(国・数・英、全員必須)の三日目だった。午前中の補習を終え、わたしは部活の練習があるという友人を夕方まで待つべく、司書室へ向かった。いつも通りだらだら本を読んで、もし司書さんにうっとうしがられたら、なにかの雑務を引き受ければいいや、という魂胆である。けれども司書さんは出かけていて、あやさん一人がそこにはいた。

「儀武先輩、こんにちは」

 挨拶して向かい側のソファに腰かけ、わたしはお弁当を広げる。あやさんはすでに食後である。今日はめずらしく表紙がイラストの本を読んでいた。うさぎの耳をつけた、ほとんど裸の女の子が、荷物を抱えきれないほど持って立っている。背景の色は熱帯夜のようでもあり、霜降る冬の明け方のようにも見える。気になってわたしは食べながらじっと見ていた。テーブルにはいつもの紙パック・オレンジジュースが置かれていて、南向きの窓のブラインド越しに細い光が射していた。いつにもましてくらくらする。すっかりみとれてしまった。

「古泉さん、今日は紅茶飲まないんですか?」

 だしぬけにあやさんが言う。目が合う。

「え、あ、はい、そういえば。忘れてました。飲もうかな」

「なら、古泉さんが二杯飲んだってことにできますね」

 無表情に近いけれど、ほのかに笑って、言う。ただでさえうろたえているところに、謎めいた返答である。あやさん、紅茶、飲んでみたくなったのかな。

 と、おもむろにあやさんは本を閉じて立ちあがり、司書さんの机からティーバッグを一つ拝借し、そのままベランダに出た。手招きしている。わたしが隣に立つと、あやさんは胸ポケットから、美しい所作で、さも当然みたいな所作で、なにか文具のようなものを取り出す。蓋をはずす。(糸切りばさみだ)とわたしが気づくより早く、あやさんの右手は二階のベランダの手すりを越えて伸び、その右手にはティーバッグの三角錐がつままれていて、糸切りばさみが閃き—

 裂け目から無数の紅茶葉がこまかな光の粒になって、弱い風に流されながら、嘘みたいなスローモーションで、落ちていった。

 あやさんはこちらを向いてほほえみ、すっとまた元のソファに座った。わたしはまともに夏の陽を浴びて、しばらく突っ立っていた。いま見た光景がなんども反芻されて、胸がちりちりした。遠くの管楽器の音や運動部のかけ声を、わたしの耳はだんだんとまた、拾いはじめた。どきどきしながら、とりあえず、熱い紅茶を淹れた。

「古泉さん、下の名前は真実子さんでしたよね? ああこれはまたとない機会だなと思って、つい」

 相変わらずの落ち着いたトーンでそう言いながら、あやさんはさっきのうさぎの女の子の本を開いて、わたしに見せてくれた。あやさんの人さし指が、やけに余白の多いページの、ある一行を示していた。

 

ティーバッグ破れていたわ、きらきらと、みんながまみをおいてってしまう

 

 このときわたしは歌集というものの存在を初めて知った。この本の短歌は「まみ」のことばとして書かれているらしかった。この一首をあやさんは特に好きだと言った。そしてこのとき、わたしは完膚なきまでに、恋に落ちたのだった。

「なんで糸切りばさみなんて持ってるんですか。わけわかんない。ずるい」

 やっとのことで口を開いたわたしの第一声が、心底かっこわるくてなさけなくてはずかしい。今ばかりは、紅茶、早く冷めてほしい。なにを思ったのか、返事を待たずなおもわたしは続けた。

「—から、だから決めました。わたし、先輩のこと、これからはあやさんって呼びます。で、あやさんはわたしのこと、まみって呼んで。古泉さんじゃなくて、真実子さんでもなくて、まみ、って」

 やってしまった。いくらなんでも、いくらなんでも支離滅裂である。だけどあやさんは、それこそ奇跡のように、ふふふっと声に出して(なのにあくまで上品に、)笑った。

「ええ。いいですよ。まみ」

 そういう風にさらっと言うのがずるいのに、そういう風にさらっと声に出して呼ばれて、わたしはうれしかった。そしてとても苦しかった。机の上のオレンジジュースは、まだ冷たいままだろうか。

 

 とはいえ、翌日に補習は終わり、すぐにほんとうの夏休みが始まった。あやさんとはまったく顔を合わせない日々が続き、二学期が始まってからも、かえって声をかけづらくなってしまった。通常の授業が始まってしまえば、偶然二人きりになるタイミングなんてほとんどない。あの日の変な時間は、光景はなんだったのだろう。折にふれてわたしは考えて、思い出すたびに焼きついて、頭から離れなかった。秋が過ぎ、冬になった。熱い紅茶にいちばんふさわしい季節だ。あやさんは相変わらず美しく紙パックのオレンジジュースを飲み、深く息するように本を読んでいた。

 春になって学年が上がり、新しいクラスでわたしは図書委員になった。あやさんと同じ曜日の当番を希望し、そうなった。このころにはわたしは本来の図々しさを取り戻し、調子に乗りつつあった。放課後、カウンターの内側に並んで座る。筆談したり、小声でおしゃべりをした。表情も声も文字も傍目にはそっけないけど、あやさんはわたしをまみって呼んでくれる。幸せだった。

 梅雨のある日、あやさんはわたしに、海外への引っ越しが決まったこと、そのまま向こうで進学することを告げた。

 

 ふたたび七月が来た。夏休み前のある日、わたしとあやさんの二人は、委員の仕事で地下書庫へと下りた。そこで起こったことはと言えば、まあ大方の予想どおり、わたしがおおいに泣いてあやさんを困らせた。泣きながらわたしは、自分があやさんを困らせているということを、どこかでうれしがっていた。だけど、でも、あやさんはまみをおいてってしまう。ならばもう一度、あんなふうにティーバッグの中身を光にして飛ばしてほしかった。あのきらきらが一度限りのことなのだと、しかしわたしはちゃんと知っていた。知っていたからこそ泣いたのだ。困りながらあやさんは、手紙を書きますよと言い、最後になにかお互いに贈り物をしましょうと言った。最後とか言うな、と思いながら、わたしはうなずいた。

 旅立つあやさんにわたしは栞を贈った。あやさんは栞を使わない。どこまで読んだかわからなくなったことが、ないのだという。本にスピンがついているときでさえ、使わない。あやさんがまっすぐに垂らすスピンは、やはりほんとうに、たまらなく美しいのだった。使わなくていいから、ぜったい持っていてください、とわたしは念を押した。あやさんはわたしに、二年半分の貸し出しカードをくれた。

 そんなわけで、母校の図書室のアナログっぷりを、大学生になったわたしはこんにち、ますます愛しく思う。あやさんと手紙のやり取りが続いているかどうかは、ご想像にお任せしたい。あやさんが図書室で借りた本を一冊ずつ追いかけるべく、貸し出しカードに手を触れると、どうにか泣きやんで地下書庫から上がっていくときの、ひんやりとした階段をきまって思い出す。のぼりきった先にあるのは、あの最初の夏にベランダで見たやつより、もっとずっとまばゆくて美しい光に違いないのだ。

 手作りの栞には、こんな歌を書いた。

 

人類がいなくなったら、まみ、お湯として待つの。ティーバッグをきっと  真実子

 

 


初出:『手紙魔まみ、わたしたちの引越し』(2014年)

「手紙魔まみ」へのトリビュート合同誌に書いた小説です。
本文中の〈ティーバッグ…〉の短歌の引用は穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館、2001年)より。

小説の個人誌『イミテーション・リリィ』に再録。