体のどこかで

 過去に読んだ本のことを思い出すとき、どこでどんなふうに読んだのかもあわせてよみがえってくる。高校の図書室、旅行の移動中、十一月の琵琶湖疏水のほとり。日々がどんな色に見えていて、なにを思い悩んでいたのかまでいっしょに匂い立つから不思議だ。映画もそう。このごろは外へ映画を観に行くにしてもシネコンばかりだけれど、それでも映写機の光が射しこむあの箱のなかまで体を運ぶのは、やっぱりいいなと思う。
 『ゴジラVSデストロイア』を観た大晦日のことをいちばんに語らなくてはならない。小学二年生で、父とふたりで観に行った。いわゆる平成ゴジラシリーズの最終作で、ゴジラは強敵と戦い勝利を収めたものの、体内炉心のメルトダウンを抑えきれず、自衛隊の冷却兵器を浴びせられ、光の中に消えてゆく。せつないラストだった。母が迎えに来るまでお昼を食べようとしたのだが、てきとうな店がなく、コンビニでお弁当を買って公園のベンチで父と食べた。北陸の冬には珍しく晴れていて、死や終末について初めて思いを巡らせたのがこのときだった。「大晦日に公園で弁当を食べた話」はわが家の鉄板ネタになり、ことあるごとに笑いながら話したのだけど、そのたびにあのつめたくてあかるい空とゴジラの死を、体のどこかで思うのだった。
 四年前に観た『リップヴァンウィンクルの花嫁』のこともまた、ずっと思い続けている。金沢での上映期間中に行けなかったので、福井まで足を伸ばした。電車で一時間ちょっと。福井駅から歩いて十分足らずのそこは、館名表示がネオンサインで、スクリーンの一部にうす青い斑点みたいなシミがあった。上映中もそのシミが、画面の暗さに応じて、見えたり見えにくくなったりした。作中に三回の〈結婚式〉のシーンがある。三つ目はクライマックスだからぜひともたどり着いてほしくて、ここでは二つ目の話をしたい。主人公の七海は、結婚式の代理出席のアルバイトをすることになる。新郎側の親族として、偽の両親、姉、兄と一家を演じる。その日出会ったばかりの五人は、披露宴後も解散するのがもったいなくて、焼肉屋で二次会をし、別れるのがもっと名残り惜しくなってしまう。駅前で、泣き笑いみたいな表情で、やけくそみたいに抱き合って、ああ、そうだった、出会って別れるのは、こんなにも死ぬほどさびしい。劇場は明るくなり、六月のぬるい夜道を駅まで歩く。ここで手を離したら最後、奈落へ落ちて永遠にひとりきりなのだと、心臓を切り取られた気持ちになってしまう時期があった。その痛みを、大丈夫、まだ覚えている。そう思えた。体のどこかで、いまも。

初出:『Sister On a Water vol.4』2021年5月