夢にだに見で

 夢にさえ見ていない。
 見えているのは交差点だ。三台以上が連なって停まることはない深夜の交差点。音のあるものはみんな滅んでしまったんじゃないかってすぐ不安になるけれど、ときどきは車が通過してくれるからその都度安心できる。いちおうの安堵だ。こどものころスイミングスクールではじめて二十五メートルプールを泳ぎ切ったときの、クロールの息継ぎみたいなものだ。そう、たぶん、車の音とライトは、夜の息継ぎなのだ。こうやってビルの二階の窓から見下ろすと、外の暗闇はざらざらして、信号の明滅やボンネットはすべすべしていて、車の音を聞くとそのざらざらとすべすべが束の間反転する、ように感じる。もうはるか昔に湯気を立てるのをやめてしまったコーヒーカップも、その瞬間だけは、ざらざらのものになるんだ。ざらざらのカップには手で触れないで、小さなかわいいスプーンで中身をかき回す。ほんとうはその銀のスプーンも、冷たくて苦いコーヒーも、今はざらざらになっている。そのことが、なぜかとても、安心できることなんだ。
 夢に人称はない。星がきれいと思った瞬間に、夢の世界では、星はただ綺麗なだけのものになってしまう。本質的に、永久に。「誰にとっても」の「誰」がだれもいないのだから、それがとうぜんの成り行きなんだ。この硬直を解く手順はかなりややこしい。だから、星がきれいと夢の中の心の中でことばにしそうになったら、すぐにざらざらのコーヒーを飲まなくてはならない。見つけられれば、の話だけれど。
 夢の中では迷子と迷子探しがあべこべだ。迷子探しほど特異な標識はない、と夢のなかのだれでもないだれもが思うだろう。声を上げて名指すだなんて、バターをじぶんのくびすじに塗りたくるようなものだ。奇妙な行いでしかない。かたや迷子は、それはもうこれ以上なく顕在し遍在している。手に持った風船からその手を離してしまった順に、迷子は目覚めていく。そういう仕組みだ。
 多くの迷子が風船を抱えて海へと飛び込むだろう。そのとき風船がちゃんと鉛より重たくなってくれるかどうかは、目覚めているときに呼んだ名前で決まるだろう。
 呼んだ?誰が、誰を?だれでもないだれもは、だれひとりそれを覚えていない。その手に持った風船が名前そのものであることを、決して知ることはできない。特別な風船だけが重くなることができて、海の深く深く深い、ざらざらな底のところに辿り着ける。このときの風船が、たとえば夜の車のライトで、だから起きているときのわたしたちは、その明かりをざらざらだと感じられるのだ。一瞬だけ、感じることができる。その感じを、次に眠ったときの夢の中で、ちゃんと思い出せるだろうか。
思い出さなくてはいけない気がする。

 ざらざらのコーヒーを飲み干してしまったので外へ出た。

 橋を渡る。
 川に沿って夜じゅう灯っている街灯がずっと向こうまで続いていて、思わず立ち止まる。
 街灯は不思議だ。ひとつひとつはぜんぶ別のものなのに、どうしようもなくひと連なりに灯っている。川面にも白い光、たまにオレンジ色の光が映っていて、水平方向にさえどこまで行っても終わらない気がして、合わせ鏡のようだ。何重にも反復する合わせ鏡だ。振り向くと反対側の街灯も、川面に映ったその光も、ずっと遠くまで途切れることなく続いている。そのちょうど真ん中が、今一人きりでいるこの橋なのだった。
 こんな夜の、こんな橋だった。

 会うことと名前を呼ぶことはなぜ排反ではないのだろう。どうして会っている最中にも名前が必要で、どうして会っていないときにも名前を声にすると苦しくなるのだろう。どちらにしろ、まだ一度だってうまく呼べた気なんてしていないのに。

 信号を待つ。
 どう見ても安全に渡れるのに、青く変わるのを待つ。もう今夜は眠れない。それならばと律儀に待っている。
 歩行者用信号の青の点滅は、夢の覚め際に似ている。それはつまり、夢の方こそが「すすめ」のサインで、目覚めてしまったら止まるしかない、ってこと。いまこうして立ち止まり待っているのが、この状態が、起きていることの本来の意味なんだ。

 赤信号がほんとうに長い。このごろ見るのは、短い夢ばかりだ。

 どこかの学校の塀沿いを歩いている。つきあたりを曲がると堅い塀が金網になる。
 ガスステーションの白い光を浴びて歩く。
 ゆるい坂道をたんたんとのぼってゆく。
 意味もなく歩道橋を渡る。立ち止まらず下を見ず渡る。
 公園のブランコが死んだように動かない。

 名前を呼ぶには待たないといけない。それを思い出す。
 いつまでだろうか。なにを待つのだろうか。

 ぼんやりとした頭で考えながら部屋へと帰り着いたのはもう明け方だった。新聞配達のバイクの音が聞こえてきた。
 風船を、ざらざらの光を、眠りの中で思い出せるだろうか。
 窓の外がしらしらと明るい。
 そして次に目が覚めたら、呼べるだろうか。ただひとつの名前を。まちがえずに、こわくないように。夢にさえ見ていない、あの名前を。

 夢にだに見で明かしつる暁の恋こそ恋のかぎりなりけれ  和泉式部

初出:「京大短歌」19号(2013年4月)  特集「古典和歌」に寄せて